今日はルイ15世の愛妾、ポンパドゥール侯爵夫人のお話よ。
出典:wikipedia
名前を聞いたことがある人は多いと思うけど、ポンパドゥール侯爵夫人が冷感症だったことは知っているかしら?
冷感症と言うのは、性欲がほぼ無く、性感覚にも乏しいことを言うのだけど、彼女はこれに悩んでいたわ。
「冷感症でなければ…」
とこぼすこともあったそうよ。
愛妾と言う立場であれば、そうよねぇ。
飽きられたら宮殿での立場もなくなるわ…
今回はそんなポンパドゥール侯爵夫人が王のお相手をできなくなってきた頃の、彼女の今後を占った結果を見ていくわ。
ポンパドゥール夫人のグランタブロウの結果
彼女の生い立ちやその後の人生は後に語るとして、まずは占いの結果を見ていきましょう!
カードの展開はこうだったわ。
ポンパドゥール侯爵夫人を示す「淑女」のカードは右から2列目、上から2段目の位置ね。
この位置だと、彼女の未来を示すカードは右の1列のみと言うことになるわね。
そして淑女の左隣に「クマ」のカードね。
私はこのクマのカードがルイ15世を指している様に感じたわ。
クマは権力や支配の象徴だから、やはりクマは王様であるルイ15世なのよね。
淑女はクマの方を見ていて、クマをその左隣の「十字架」を見ているわね。
実はルイ15世はメンタルが弱くて、宗教にすがりがちな男だったわ。
ポンパドゥール侯爵夫人に、
「一緒に聖書読んで過ごさない?
とか言っちゃう男だったのよ。
このカードの並びは、そんな状況を指していると思うの。
そして彼女とルイ15世は同じ上から2段目にいることから、立場は対等であったと考えられるわね。
実際のところ、彼女じゃ政務にも口を出していたから、対等だったのでしょうね。
ブルジョワ(庶民)出身の愛妾だと考えると、「対等な立場」ってすごいことヨ。
さて、淑女の上には「月」のカードね。
これは彼女の生まれ持ったセンスの良さを象徴している様に思ったわ。
彼女はエンターテイナーとしての才能が素晴らしかったの。
衣装のセンスも良かったし、演劇もお好きだったわ。
そういったエンターテイナーとしてのセンスをフル活用してルイ15世を楽しませていたの。
それでもって、王様の心を飽きさせずに自分の所に留めていられたってわけね。
そして月のカードの左にある「ハート」のカード。
これはクマのカードの上に位置しているわね。
ルイ15世の精細な情緒を大切にしている、と言うか、この場合はやや持て余していたとも見れるわ。
ルイ15世の鬱っぽい気質は、彼女をげんなりさせていたわ。
ルイ15世はこの繊細な情緒を宗教心でコントロールしようとしていた、と見れるカードの並びだわ。
ポンパドゥール侯爵夫人の占いをしているのに、このクマときたら、ちょいちょい割り込んでくるのよ。
まるでクマのことを占っているみたいだったわ。
さすが王様。(笑)
さぁ、次に行くわ。
淑女の下には「子供」、その下には「紳士」のカードね。
実は彼女、アレクサンドリーヌと言う名前の娘がいたわ。
ルイ15世との子供ではなく、夫のルノルマン・デティオールとの子供よ。
配置的には、子供のカードはアレクサンドリーヌを、紳士のカードは夫のルノルマン・デティオールを指していると思ったわ。
ポンパドゥール侯爵夫人は、サレクサンドリーヌをルイ15世の非嫡出子と結びつけようと思ったこともあったのだけれど、これはルイ15世によってやんわり否定されたわ。
子供のカードの右の「雲」のカードはそのことを指していると思っていたのだけれど、サレクサンドリーヌはこの後10歳で亡くなったわ。
雲のカードはアレクサンドリーヌの人生が止まってしまったことを指していたのね。
一方で夫はというと、普通に愛人と幸せに暮らしましたとさ。
というのがカードにも出ているわね。
紳士のカードの右に「騎士」のカード。
わりと幸せな未来だわ。
さて占いの相談内容は、
「王様の夜の相手をしなくても、未来は安泰か?」
と言う事だったんだけど、直近の彼女の未来を示すのは淑女の右の「魚」のカードね。
繁栄しているわ。
しっかり財産もあるわ。
そして淑女の上の月と家のカード。
これは、ルイ15世との理解を深め、頭の中で考えていることはバシバシ伝えていきなさい。
ってことを言っているわ。
そうすれば、心配するようなことは無いという結果だったわ。
一番下の4枚のカードは、カードからのメッセージね。
「手紙」、「ユリ」、「キツネ」、「棺」のカード。
陰謀や策略は常に付きまとって、死ぬまで終わらない。
と言う事だったわ。
一見、嫌なメッセージだけれど、つまり死ぬまでベルサイユ絡みの所に居るとも言えるわ。
実際、彼女は肺炎に罹って42歳で亡くなるのだけれど、ベルサイユで葬儀をしているわ。
そしてこの占いの核となる四隅のカードは、「庭園」「家」「星」「騎士」ね。
ココから見えるのは、
彼女は社交界で自分から積極的にアクションを起こして事態を好転させていく力があって、その力で固めた地盤の上でカリスマを発揮して輝いている
ことを指していたわ。
つまり、王様の夜のお相手が出来なくなっても、彼女の才覚と努力があれば今の地位を失うことは無いということね。
まとめ
今回は、ルイ15世の愛妾のポンパドゥール侯爵夫人が、
「王様の夜の相手がしんどくなってきたんだけど、私の今後って大丈夫かしら…?」
ってことで、占ってみたわ。
彼女はマリー・アントワネットの母親のマリア・テレジアとロシアのエリザヴェータと手を組んで、プロイセンのフリードリヒ2世を封じ込めようとしたことで有名よね。
庶民出身の愛妾でありながら、政務に積極的ではなかったルイ15世に代わって一生懸命政治をやっていたのよね。
体が徐々に弱ってきていた1759年、37歳の時にマリア・テレジアから豪華な直線型机を贈られているわ。
きっと、今まで一生懸命やってきたことを認められたようで、彼女は嬉しかったんじゃないかしら。
女庭師姿のポンパドゥール夫人(シャルル=アンドレ・ヴァン・ルー)
そんな彼女の一生を軽く触れて今日はお仕舞いにしましょう。
ポンパドゥール侯爵夫人が生まれたのは1721年、本名はジャンヌ・アントワネット・ポワソンよ。
裕福なブルジョワ階級の娘として生まれたわ。
この「ポワソン(魚料理の意)」という名字を文字って「魚屋の娘」と揶揄されていましたが、本当に魚屋の娘だったわけではないのよ。
病弱だったジャンヌはある日母親に連れられて占い師の下へ行くわ。
「この子は将来、王の愛妾になる。」
そう告げられたそうよ。
凄い占い師だわ!!
そうして彼女の愛称は「レネット(小王妃)」となったわ。
皆から愛される美少女だったそうよ!
教育は貴族並みの最高の物を与えられたと言うわ。
宗教教育や音楽、演劇、歌、ダンス!
更に彼女は博物学も好きだったのよ。
彼女の手紙を見るに、文才だけはイマイチだったようね。
でも、この上家事もこなせたというから、もう完璧よ!
完璧な美少女よ!!
家庭環境は色々複雑で、この高度な教育を与えたのは実の父親では無くて養父だったわ。
養父が凄いわよね。
こういった高度な教育が実を結んで、彼女の天性のセンスと相まって、ルイ15世を癒し励まし繋ぎとめる術となっていったのでしょうね。
彼女は有名なセーヴル窯も築いているわ!
これはフランス革命の時に壊されてしまっているのが残念ね…
ポンパドゥール侯爵夫人が病弱だったのは、大人になってからも変わらなかったわ。
陰謀渦巻く宮廷生活は、彼女の心身を蝕んでいったでしょうね。
31歳の頃には、体はやせ細り、頬はこけて肌の色もくすんでいたわ。
それでも42歳で亡くなるまで、彼女は王の下から去ることは無く人生を終えたの。
散財もすごかったのは確かだけれど、彼女の人生を見ていくと「お金を使ったことだけ」に着目してはいけないと思うわ。
彼女の建てたお城や彼女を中心として起こった流行は文化的に価値があるわ。
まだまだ語りたいけれど、長くなるから今日はここでお仕舞い。
ポンパドゥール侯爵夫人の人生を綺麗にまとめているブログがあるわ。
参考書籍も下に紹介してあるから、良かったら参考にしてみてね。
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参考文献
- 飯塚信夫. ロココの女王 ポンパドゥール侯爵夫人. 文化出版局. 1980
- (著)マーガレット・クロスランド (訳)広田 明子. 侯爵夫人ポンパドゥール ヴェルサイユの無冠の女王. 原書房. 2001
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